新大西洋憲章
1973年4月23日、キッシンジャー米大統領捕佐官はAP通信の臨時総会で演説をおこない、ニクソン大統領は欧州との間に新大西洋憲章ともいうべきものを築こうと考えている。新しい米欧関係の柱は、経済的摩擦の緩和と、米車の欧州駐留であると述べました。5月3日の外交白書にも基調として同じことが示さされました。1941年8月の米英首脳会談で著名された大西洋憲章になぞらえての呼称でしたが、、理想主義的国際主義に彩られた前の憲章に比べて、調子が低くアメリカと他の先進資本主義国の経済的矛盾を調整し、防衛負担の転嫁をはがろうとするものです。したがって日本に対してもそれへの参加を呼び掛けていました。しかし欧州諸国の反応は消極的で、年末のニクソン訪欧の際に米欧首脳会談を開いて憲章に署名しようという大構想も後退を余儀なくされています。
米ソ首脳による会談としては、1959年のキャンプデービット会談、61年のウィーン会談、67年のグラスロボ会談がありましたが、72年5月、ニクソン米大統領が訪ソし、ブレジネフ・ソ連共産党書記長らと会談しました。両極化から多極化の世界への変移に対応し、新しい力の均衡をはかろろうとするアメリカと、対中接近による孤立化を警戒するソ運と、両者の思惑が一致して開かれました。会談は23日に始まり、29日に基本文書の調印、共同コミュニケの発表で幕を閉じました。モスクワ宣言の他、ABM制限案約、戦略攻撃兵器制限暫定協定、海事事故防止協定、環境保護協力協定、医学・保健協力協定、宇宙協力協定、科学技術協力協定が調印され、平和共存の原則が確認されるともに、実務的な間題が処埋されたました。
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