東西10カ国軍縮委員会
1960年3月15日からジュネーブで開かれた東西10カ国の軍縮討議のための会議で、58年にロンドンでの軍縮小委員会が不成功に終っり、2年ぶりにおこなわれた軍縮会議ということで注目されましたが、東西首脳会談待ちというところで、4月20日より休会に入りました。この委員会は、59年9月に、アメリカ、ソ運、イギリス、フランスの西大国が共同声明で国連の外に10力国軍縮委員会を設ける合意に達したと発表したことにその成立の端緒を持ち、東側からソ連、ポーランド、チェコ、ルーマニア、ブルガリア、西側からはアメリカ、イギリス、フランス、カナダ、イタリアの東西同数の国々が参加している点で、いままでの軍縮開係の委員会の構成とまったく異なりました。国連外の機関ですが、国運軍縮委員会は、これと関係をもつ必要を認め、その報告にもとづき59年11月、国連総会は全加盟国の全会一致で軍備廃止の早期取決めを希望するとともに、この委員会にこれまでの提案や記録を送ることを決議しました。開催されてから1力月の間に東西の軍縮関係提案が討議されましたが、軍縮借置に重点をおく東側と、管理に重点をおく西側の考え万の墓本的対立はとけませんでした。首脳会談が決裂して注目のうちに6月7日、再開され、ソ連は核兵器運搬手段と外国軍事基地撤退を優先する新軍縮案を提出し、この歩み寄りに一時は期待がもたれましたが、西側は在外基地全廃案に大きく反対し、会議は6月27日、ソ連の討議打切りと国連での話し合い声明で決製し、東側5力国が脱退し、翌日からは休会となりました。
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