軍縮視察
第14回国連総会でフルシチョフ・ソ連首相は、軍備一切を4年間で段階的的に解体するという軍縮提案を行ないましたが、西欧側は有効な査察と管理を並行して行わねば意味がないとしました。フルシチョフ首相も、スチーブンソン米国連大使との会談や、訪米最後の記者会見で、軍縮の各段階に査察と管理を受け入れる用意のあることを表明し、西欧側の疑惑を一層することに努めました。
1955年7月ジュネーブ四巨頭会談の際に、アイゼンハワー米大統領はブルガーニン・ソ連首相に、米ソ間の軍事情報の交換と相互空中査察を提案しました。同案によると、空中査察は米ソの飛行機が相手国の基地に駐留して、領内を自由に飛行、軍事施設の航空写真撮影も許されます。したがって秘密軍事基地や原子力工場の位置などが一目験然になるわけで、アメリカが仮想敵国のソ連にこのような提案を行なったことは世界を驚かせました。目的は奇襲を阻止し、人類の破滅になる原水爆戦を避けるにありますが、ソ連領内をあまり知らないアメリカにとって、有利なことは事実で、ソ連は一般軍縮、原水爆禁止が実現しなければ十分だと拒否しました。しかし、56年11月に至って、ブルガーニンはアイゼンハワーに空中査察講想の受け入れを表明し、中央ヨーロッパの幅800キロメートル限って空中からの写真撮影に応ずると述べました。57年にはソ連の空中査察案および西側4力国の空中査察案がそれぞれ提出されましたが、いずれも査察地域についてまとまりませんでした。
アイゼンハワー米大統領は1955年7月の臣頭会談に際して原水爆禁止の前提として者互いに相手国の国内を自由に飛び、軍事施設の所在を確かめあい、戦争を未然に防止するための空中査察が必要だと述べました。しかしソ連側はそれに反対し、原水爆の禁止が先決だという主張を引っ込めませんでした。ところが56年11月のブルガーニン書簡を経て、57年5月ソ連はアメリカがもしアラスカや西欧のほとんど全部、アメリカのミシシッピー以西全部の空中査察を許すなちば、ソ連はソ連衛星国のぼとんどとシベリアおよびソ連東部の3分の1を空中査察のため開放してもよいと一歩妥協的な提案を行ないました。ソ連は査察の重点を西欧におこうとし、アメリカは、ソ連の要求によればアメリカの軍事拠点のほとんどが包含されるのに対して、ソ連の査察の許可地域は第二次的な産業中心地だと、再者の主張は食い違っていました。
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