ヤルタ協定

ヤルタ協定は1945年2月に、ルーズベルト、スターリン、チャーチルの米ソ英の三巨頭が、ソ連領クリミア半島のヤルタに会して結んだ秘密協定。大戦中の、前後9回に渡る戦争指導会議の1つですが、連合国の協力態勢は、このヤルタ会談で最高潮に達しました。ここでは、早くも戦後の平和に備えた政治的な間題が討議され、ドイツ占領の目的とその管理方式、対独賠償、欧州解放宣言、反枢軸連合国組織、国連の基礎的な間題など忙ついて取決めを結んだほか、ポーランドの東部、ソ連との国境線が討譲され、戦後46年2月11日に初めて発表されました。この秘密協定でソ連は、当時中立関係にあった日本にたいして参戦を約し、米英は戦後日本がらソ連に樺太を返還し、千島を引渡すことを約束しました。これは米英ソ3国の協定で、日本は直接には拘束されませんが、ポツダム宜言の領土条項は、協定内客の実現が妨げられないような規定をしていました。この密約はソ連を対日戦に参加させることができれば平和的な世界統一実現に際しソ連の協力を確実に用待できるとのルーズベルト大統領の信念にもとづくものであり、アメリカ国内の反ソ反共政策が強まるとともに、この密約にたいする共和党の論難は慣りをまじえだしました。その結果が、53年2月18日ベントリー共和党議員により下院に提出されたヤルタ協定否認決議案でした。ごれは戦時の秘密協定、特にソ連に領土その他の点で譲歩する基礎となったヤルタからポツダムヘの一連の秘密協約の破棄決議案であり、千島、南樺太の日本への返還も間題とされましたが、アイゼンハワー政権と共和党との主張に食い連いがあり可決されませんでした。

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